大野倫さんといえば、元沖縄水産高校のエースで1990年と1991年の甲子園で2年連続の準優勝を果たされています。
現在は九州共立大学の沖縄事務所長を務められていて、沖縄県内の野球発展に向けて活動もされているとのこと。次の世代のために野球を伝え広げていこうとする動きはとても素晴らしいと思います!
そして大野倫さんの過去には選手生命が断たれてしまったという大きな出来事もあったそう…
そんなわけで、大野倫さんの過去や2018年現在の年収などを色々と調査しましたので見ていきましょう!
目次
大野倫(元沖縄水産エース)の右肘がくの字に曲がっている画像あり!
沖縄県で野球を復興しようと活動をされている大野倫さんは、過去に投手を諦めざるを得ないくらいの大怪我を右肘にされています。
その怪我に至った経緯については後ほど詳しく紹介させていただきます。
早速ですが、下に大野倫さんが右肘を伸ばしている画像をご用意しました。
ご本人曰く「これ以上は伸ばせない」と言われていることから、現在においても右肘に後遺症が残っている模様です。
後遺症が残っているほどですから当時はかなりの大怪我をされていたんだということがよく分かりますね。
大野倫(元沖縄水産エース)の右肘の故障が発覚したのは閉会式!?
大野倫さんが投手としての選手生命が断たれてしまったきっかけは、沖縄水産高校3年生の春に起こりました。
とある練習試合に参加していた大野倫さんはブルペンで投球練習をしていましたが、その練習の最中に右肘が音を立てて激痛が走ったとのこと。
しかし、監督からのプレッシャーやチームの期待があったため投手を辞退するわけにはいかず、投げ続けて無理が祟ってしまいました。
そして大野倫さんの右肘の故障が発覚したのは1991年の甲子園での閉会式でした。
その詳細は、今年2月24日の日刊スポーツによると
何げなく、テレビをつけた。自分たちが映っていた。甲子園の閉会式のシーンだった。その時、屋良は跳び起きた。「何だ、これは…!」と叫んだ。大野の肘が曲がっていた。曲がったまま行進し、曲がったまま整列していた。屋良は隣に並んでいたが、気付いていなかった。
引用:https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201802190000456.html
とのことですから、右肘を相当酷使されていたんでしょうね。。
病院に直行して検査を受けた結果、『右肘の剥離骨折』という診断を受けたそうです。骨に亀裂が入っていて軟骨も欠けているというひどい状態だったらしいです。
手術を終えた後、投手への復帰は叶いませんでしたが持ち前の長打力を活かすために外野手に転向されています。
また、右肘がくの字に曲がったままだったものの懸命なリハビリによって、遠投で100メートルを投げられるくらいまで回復していたそうですから驚きです。
自分は利き腕で野球ボールを50メートルすら投げられませんので…(笑)
この自身の経験を多くの人々へと伝えるべく、いまでは投球過多による故障防止の講演会などで提言を続けられています。
大野倫(元沖縄水産エース)の2018年現在の年収はいくらなの?
大野倫さんのプロ野球選手時代について調査を進めていくと、1996~2000年には読売ジャイアンツ、2001~2002年に福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に在籍していました。
その当時の現役時代おいて最高年棒を誇ったのは、1999年のことで一軍の控え外野として年棒1,180万円で契約を結んだそうです。
このことを考慮すると、さすがに大野倫さんの2018年現在の年収はプロ野球の現役選手時代には劣るとは思います。大まかな予想になってしまいましたが、年収は500万円前後といったところでしょうか。
杉ありさの父親の仕事と年収は?実家がお金持ちのお嬢様ってホント!?
まあ大野倫さんの経歴からしてかなりのお偉いさんであると分かりますので、間違いなく自分の年収よりは多いんでしょうね(笑)。
いかがでしょうか
大野倫さんは九州共立大学の沖縄事務所長のほかに、ボーイズリーグの中学生チーム「うるま東ボーイズ」を指導されているそうです。
今後、大野倫さんの活動によって沖縄県が野球発展していくことを楽しみにしております!
今回はこれで以上となります。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。